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■事業の概要
◆NPO法人「G-net」
2001年10月設立。大晦日のカウントダウンイベント、学生向け企業インターン、学生が自ら作り発行するフリーペーパー、ラジオ番組、トークライブなど様々な事業を手がける。また、2005年10月に行われた野外イベント・Beans Festaでは開催4回目にして10万人を動員。岐阜を拠点に幅広い活動を繰り広げ、夢に向かって頑張る若者を応援している。
10代の頃の秋元さんはどのような子だったんですか?
中学では天文学、高校ではカメラにはまっていたちょっとマニアックな子でした(笑)父は公務員、母は専業主婦という至って普通の家庭に生まれたけれど、僕はそんな家庭にいながら結構おもしろい育て方をされたんです。例えば、小学校低学年の頃に1万円を渡され、一人で大阪まで阪神グッズを買いに行くという「はじめてのおつかい拡大バージョン」や、夏休みの家族旅行の費用だけを言い渡されて、宿泊予約から旅行地決めなどを一任されるなど…。とにかく、小さな頃から自分で企画・実行する機会が与えられていた。その影響か、疑問解決に対しての思いや行動力が強く、高校の時は株式売買にも挑戦するなど、ちょっと変わったこともしていたように思う。所々でおもしろい経験は重ねていたけれど、今のような団体の代表経験をしたのは21歳でG-netを立ち上げた時が初めて。学生時代に入った生徒会でも副代表までで、メンバーを統率して物事を推し進めるようなリーダータイプではなかった。
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何か大きな変化期があって、現在のような活動に至ったのですか?
大学一年の時、友達に誘われ参加したフリーペーパー制作の影響が大きい。それまで雑誌なんてものはプロにしか作れないと思ってけど、参加してみたら制作費用100万円の雑誌をプロなしでも作ることができたんだ。自分で雑誌を作ることなんて、それまで一度も考えたことがなかったのに作ることができた…それが足掛かりとなって、その後の僕は「俺って、意外とできるじゃん!」と調子に乗り(笑)大手企業の新規プロジェクト立ち上げに加わったり、40歳で年収1億円稼いでいた人の元でコンサルの修行をさせてもらったりと活動の場を広げていった。フリーペーパーという小さな成功体験が自信へと繋がって、あとは波に乗ってどんどん行動していったんだ。そして次に体感したのが、行動すればするほど凄い人達に出会うことができるということ。出会いが楽しくて行動する、するとまた新しい出会いがある。その出会いと経験の連鎖は、フリーペーパー制作という小さな成功体験から始まったんだ。
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東京でそれだけの活動をしていたのに、岐阜へ戻ったのはなぜですか?
「東京だからできるんだよ」と地元の人が放った言葉が事の発端。東京でしてきた様々な体験を地元で話したらそう言われた。その時、僕は初めて「地方の人にとって、東京でしていることは三歩先のことであって現実的ではないんだ」ということを実感したんだ。三歩も先のことを言われても、地方の人は追いつく気がしないから競争しようとしない。「東京だから…」という言い訳にも近い言葉を聞いて、僕は地方の「諦めている姿」を感じたんだ。確かに東京は世界有数の大都会で、最先端の情報や建物が集まっているけど、日本を作っているわけじゃない。都会に住んでいる国民は少数だし、ほとんどの国民が住んでいるのは「地方」と分類されるところ。日本を作っているのは地方なんだ。なのに、その地方の人達が諦めていたら、これからの日本はどうなるんだ?そう思った。だから僕は、地方の人が競争心も持ってくれないような「最先端の都市・東京」で活動するよりは、自分の地元であり「日本の未来を担う・地方」である岐阜で「地方でもできるんだ!」ということを地元の人に体感してもらうために活動を始めた。
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今、岐阜ではどのような活動をしているんですか?
僕が今のようになれたのも、フリーペーパーという小さな成功体験の場があったからこそ。だけど、地方にはそのような環境が少ないのが現状。だから、僕が今岐阜で行っているのは、フリーペーパーやイベント、トークライブやラジオ番組など、若者が一緒になって作り上げることができる環境、彼らが成長できるようなきっかけを作ることなんだ。学生やフリーターの子たちがそれらの活動を通じて「最初はできないかと思ったけど、意外とできるじゃん」と実感する場を作っている。経験から彼らが自信を掴んで、自分の夢への一歩を踏みだせるように。最初の一歩さえ踏み出せたら、後は自然と進んでいくことができることを僕自身も東京で体感してきた。東京にあって地方にないのは、成功体験をするような環境。だから、僕はそれを地方にも作っていこうと思っている。活動を通じて地方の若者が自信を掴み、自分たちの道を歩んでいくことができれば、地方は変わり、いずれ日本が変わっていくと思うから。
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中高生の僕たちに何かメッセージをください。
やらないうちから「できない」って諦めてしまう人がいるけど、僕は「できない」って分かった時点で、それはもう「できる」と思っている。できないっていうのは、できた時のことをイメージできるから「できない」のが分かるんだ。だったら、あとは「どうしたらできるのか」とできる方法を探っていけばいい。何でできないのか、原因が分かれば、あとは1つずつその原因をクリアしていけばいいだけだから。だから、みんなには、できないって分かった時点で諦めるのではなく「どうしたらできるのか」と探す人達になっていってほしい。僕はこの活動を通じて、思いを言葉に、言葉を行動に変えていきたい。そして、「できない言い訳」を探すのではなく「できる方法を探す」人達をふやしていきたいんだ。
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NPO法人「G-net」代表理事
秋元祥治さん
1979年岐阜県生まれ。高校時代にディベート大会で全国一位となり岐阜県民栄誉賞を受賞。卒業後は早稲田大学に入学、上京。大学1年時に参加したフリーペーパー制作がきっかけとなり、その後様々な活動を展開。在学中にもかかわらず21歳でG-netを設立し、活動の拠点を岐阜へ移す。その後大学は休学、今春退学。現在、NPO法人「G-net」代表理事を務める。
●16歳 高校の入学祝いで株式売買に挑戦
●17歳 高校生ディベート大会で全国一、岐阜県民栄誉賞受賞
●18歳 早稲田大学入学、フリーペーパー制作に参加
●19歳 企業インターンに明け暮れる日々
●21歳 在学中でありながら岐阜市に戻り、G-netを設立
●現在 NPO法人G-net代表理事
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伊園雄介くん
南山男子高校2年
今まで17年間生きてきた中で、秋元さんのように社会に対するビジョンがしっかりしている人に出会ったのは初めて。いつもはあまり人の話しを聞いていない自分でさえも、取材中は聞き入るほど話がおもしろかった。1番印象に残っているのは「やれない事だと思っても出来る事かもしれない」という言葉。話しを聞いてからちょっとたった今でも頭から離れず、討論の場で思わず使ってしまうこともあります。今回の取材は自分の未来を創るという事でとてもいいものでした。本当にありがとうございました。
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