|
■事業の概要
◆「自分らしい働き方研究所」所長、株式会社「ピー・エス・サポート」取締役、社会福祉法人「みらい」理事、NPO法人「起業支援ネット」理事
ビジネスプロデューサー&キャリアカウンセラー
経営者であった自らの経験を生かし、障害者や高齢者にとって住みやすい街を作るために事業を立ち上げる。また、学生など自分の将来に悩む若者をカウンセリングし、キャリア支援も行う。「共にある事を大切にする社会を創る」ことを使命に、ビジネスプロデューサーとキャリアカウンセラーというふたつの領域で、次世代へのパラダイムシフトを支援する。
10代の頃はどのように過ごしてきましたか?
あまり楽しかったという記憶はないですね。思春期だったせいか、いつも何かに対して不満や怒りを抱いていた。小学校6年生で受験をして、エスカレーター式に進学できる中高一貫校に入学。高校受験がないのをいいことに、勉強もあまりしていませんでした。代わりに、クラブ活動には打ち込んでいましたよ。夢中でバドミントンの練習をしていたのを覚えています。今思うと、勉強をしたくなくてクラブ活動に逃げていただけのような気もするけれど。…それにしても、中学・高校時代のことってあまり思い出せないですね。私は昔のことってすぐ忘れてしまうんですよ(笑)次から次へと、毎日新しい出会いや経験を重ねているから、きっと覚えていられないんでしょうね。
|
関谷さんの価値観や考えを一新させたターニングポイントはいつでしたか?
35歳の時、生後7ヶ月の娘が事故で半身マヒと知的障害を持ったんです。それまでの私と言えば、大学卒業後に勤めた銀行ではバリバリの営業マン、29歳で家業である運送会社の業績の立て直しを始め、34歳の時には経営者。人にも自分にも厳しい実業家でした。仕事を強引にでも押し進める姿に「ゴーイン」というあだ名も付けられたほど(笑)当然、現在の「勝ち組社会」特有の「努力していた者が勝ち、怠けていた者は負ける」という考えを持っていました。だからこそ、事故にあった娘の将来を案じ、いい医者がいると聞けば西へ東へ走り回っていたんです。少しでも障害を軽くし、この社会の「負け組」にならないように。けれどある日、妻がそんな私を叱ったんです。「そうやって障害を直そうとしているのは、障害を持った娘自体を認めていないっていうことでしょう!」と。指摘されて始めて、私はそんな自分に気づいたんです。それからは障害を直すのではなく、受け入れようと娘自身と向き合うようになりました。自分の視点を変えたら、同時に弱い者に対して優しくない現代社会にも気づくことができた。そこで私は、娘のように「弱い者」でも生活していくことのできる社会を作るのはどうしたらいいのか、今まで実業家として築き上げた自分の資源を使って、地域の取り組みから「弱い者」でも生活のしやすい社会を作っていくことができないか。そう考えるようになったんです。
|
地域から住みやすい環境を作るため、具体的にどのような活動をしたのですか?
地域で互いを支え合うにはどのような仕組みを作ればいいのだろう。そう考え、自分が今まで実業家として培ってきた信用や資金、経営ノウハウ、人脈を使って何かできないかと考えた。私は娘の障害がきっかけで「社会的弱者」に目を向けるようになり、障害者以外にも社会に追いやられている人の存在を知ることができたんです。子育てに追われ、仕事をしたくてもできない専業主婦、足腰が弱いために病院や買い物へ行くのに苦労するお年寄り…。知れば知るほど、そのような「社会的弱者」と呼ばれる人たちが互いに助け合うことのできる地域を作っていく必要性を感じた。そして気づいたら、2000年からの5年間で、専業主婦が経営する「Mama's Cafe」、通院付き添いや買い物代行もする「コミュニティータクシー」など7つの事業を立ち上げていたんですよ。彼らが安心して生活できる地域コミュニティを作るために自分は何ができるのか、そう考えた結果、彼らの居場所となる事業を立ち上げることが自分の役割だと思ったんです。
|
今後はどのようなことをしていくのですか?
実はね、2005年6月に運送会社の経営者を辞任したんです。ビジネスプロデューサー&キャリアカウンセラーとしての仕事をもっとしていくために。私が作りたいのは「何かをするために役に立つから価値があるのではなく、『ただ生きている』それだけで価値がある社会」。今の社会は何かと利用価値を考えすぎている気がする。けれど、本来人間っていうのは「生きている」それだけで十分素晴らしいことだと思うんだよ。だからもっと「生きている」ことを大切にできるような社会にしていきたい。困っている人が手をのばして助けを待っていたら、周りの人たちが手をさしのべられる社会。今は、隣に住んでいる人の顔も知らなければ、街角ですれ違う人と挨拶を交わすこともほとんどない。そんな状態では、誰かが助けを待っていることにも気づいてあげられない。だからこそ、私は地域コミュニティを作って、互いに助け合える環境を作っていきたいんです。そうすれば、障害を持った娘でも生きやすい社会になっていくと思うから。
|
今の中学生、高校生へメッセージをお願いします。
生きることを難しく考えないでほしい。学生の時期は将来のことを考えて「自分は何がやりたいんだろう」「自分は何ができるんだろう」「自分は何の役に立つんだろう」と、生きることを難しく考えてしまいがち。けれど、考えても答えはなかなか見つからないものだと思う。先の不安に駆られて「今」を生きられないのはもったいない。だから、生きることをそんなに難しく考えるのではなく、もっと「今」を大切に生きてほしいんだ。学生の今でしかできないことをして、今を感じながら、今を精一杯生きてほしい。自分に自信がないのは当たり前で、いろいろ悩んだり迷ったりするのも当たり前。人生には「今」しかないんだから。世の中は矛盾だらけで、そんな社会の中で生きていくためには、わけの分からない事に耐える力も必要だと思う。けれど、自分の可能性を信じていけば、きっと苦難に直面しても耐えていくことができる。だから、今は生きていくことを難しく考えるのではなく、もっと「生きること」そのもののすばらしさを味わってほしいんだ。「今」感じていること、「今」していることが未来へ繋がっていくし、それが自分の可能性になっていく。「生きる力」になっていくから。今、生きたいように生きていけばいいんだよ。
|
|
ビジネスプロデューサー&
キャリアカウンセラー
関谷剛一さん
1959年、岐阜県多治見市生まれ。大学卒業後は銀行に勤めるも、仕事中の交通事故がきっかけとなり29歳で退社。実家に戻り、業績不振であった家業の運送会社立て直しを計る。情熱の余り押しが強く、「ゴーイン」というあだ名をつけられる。しかし娘の事故がきっかけで考えが一新。「互いに支え合える地域コミュニティ形成」のため2000年からの5年間で7つの事業を立ち上げる。現在、ビジネスプロデューサー&キャリアカウンセラーとして独立。地域コミュニティ活性化に貢献している。
▼0歳
岐阜県にて運送会社の息子として生まれる
▼12歳
中高一貫の進学校に入学
▼22歳
大学を卒業、営業職で銀行に入社
▼29歳
仕事中の交通事故が原因で、銀行を退社。実家に戻り、家業である運送会社の事業立て直しを図る
▼34歳
新規事業が成功し、経営者となり家業を継ぐ
▼35歳
生後7ヶ月の娘が事故で障害を持ち、現在の「勝ち組社会」について疑問を抱く
▼40歳
互いに助け合う地域コミュニティ形成のため、以後5年間で7つの事業を立ち上げる
▼45歳
運送会社の経営者を辞任
▼現在
ビジネスプロデューサー&キャリアカウンセラーとして独立
|
|
柴田裕貴くん
名古屋工業高校2年生
関谷さんの第一印象は、一見、何処にでもいるサラリーマンでした。かなりジョークを飛ばし、僕らを笑いの渦に巻き込んでくれました!!!関谷さんは多治見で弱者の方への色々な活動をされているそうです。一番印象に残ってるのはタクシーの事…老人や障害者の方、居酒屋でお酒を飲まれた方へ格安でタクシーを運行する事業をされているそうで是非僕もその仕事をやってみたいと思いました!
大角清隆くん
東海高校1年
素晴らしいお話を聞くことができ、とても貴重な時間を過ごすことができました。しっかりとした意見の持ち方と人との上手な接し方には憧れるばかりです。自分も何かやりたいと思わせる話し方は尊敬に値します。こんな素晴らしい人に出会うことができて本当に幸せでした。
|
|
|