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■事業の概要
◆にっぽんど真ん中祭り組織委員会
“YOSAKOIソーラン祭り”に参加した名古屋の学生たちの「踊りで感動が伝えられるような祭りを名古屋でも作りたい!」という願いから、1999年2月「にっぽんど真ん中祭り」実行委員会が誕生。同年8月、第1回目の祭りを開催。翌年には、韓国にも遠征。また、2005年8月の第7回にっぽんど真ん中祭りでは、猛暑にもかかわらず200万人を動員。名古屋を代表する祭りとなっている。
「どまつり」という大イベントを取りまとめている水野さんですが、
10代の頃はどんな子だったんですか?
高校生の頃は、ただ会計の成績がいいってだけで税理士を目指していたフツーの学生。だから、今の「どまつり」のように自分で何かを立ち上げて、それを仕事にしていくなんて事考えたこともなかった。だけど、今は「どまつり」が僕の仕事で、僕はそれで給料を貰って生活している。10代の自分が想像すらしていなかった姿になっているんだ。僕が、今の自分へとつながる大きな転機を迎えたのは10代の終わり。大学1年の時、友達に"YOSAKOIソーラン祭り"にでようと誘われたことがきっかけだった。北海道で学生が作りだした大きな祭り、そこで踊ろうと。その後、僕らは名古屋の大学生60人で踊り手のチーム「鯱-シャチ-」を結成して、翌年には実際に北海道で踊った。信号の色が消えて、大音量で曲が流れて、車道にでて皆で踊る…そんな祭りという空間が僕を変えたんだ。僕は、YOSAKOIを経験して「名古屋にもこんな空間を、祭りを作りたい!」という強い気持ちを抱き、そのために行動し始めた。その結果として、「どまつり」を仕事としている今の自分がいる。10代の終わりにして僕は、今の自分へと繋がる機会を得たんだ。
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どんな祭りを作りたいと思って、どんな風に実現していったのですか?
僕は「人類共通の祭り」を作ろうと思ったんだ。YOSAKOIに参加して、祭りという空間に感動し、同時に「自分たちの街の“祭り”を踊りたい」という思いも抱いた。徳島県には阿波踊り、高知県にはよさこい祭りがあるように、日本各地には地域の文化に根ざした祭りがある。だから音楽や振り付けを制限しないで、踊り手が自分達の街の文化である祭りを踊れるような空間を作りたかった。そういう思いが思いのままで終わらなかったのは、できない気がしなかったから。北海道のYOSAKOIは、当時の自分と同じ「学生」が実行委員として祭りを立派に運営していたんだ。その姿を目の当たりにして、自分達ができない気はしなかった。最初はただ「祭りを作りたい!」という気持ちが先走って、開催するために必要なものが何なのかもわからなかったけど、思いが徐々に周りを巻き込んで、多くの人の協力も得られるようになった。そして今では、日本だけにとどまらず、サイパンや韓国、世界各国の人々も自分達の文化を踊りに来てくれている。何百というチームがあって、何万人という踊り手がいるんだ。僕はこれからも参加者のみんなが自分達の文化である「祭り」を踊れる空間を作っていきたい。世界文化を作っていきたいんだ。
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どうすれば水野さんのように周りを巻き込み、
周りに必要とされる人間になれますか?
いろんな人と夢を一緒に抱えれば、まわりに必要とされる人間になっていくと思う。「どまつり」だって、はじめから今のように多くの人が参加してくれていたわけじゃない。最初は通りすがりの人たち相手に1500人の踊り手が参加していた祭りだった。だけど、今や祭りを見に来る人は約200万人、踊り手は約2万人にふくれあがっている。これはただ単純に参加者が倍になっていったわけではないんだ。1人の参加者がいれば、その周りには家族や隣近所、商店街、町内会、学校、会社があって、1人の参加者が踊れば、その練習のためにみんなが協力し合ってその人を助けていく、祭り当日も応援に駆けつけに来てくれる。そういう地域コミュニティの取り組みの中から、祭りのファンがふえていって、参加者がふえていった。だから、自分の夢をいろんな人と一緒に抱えられたら、自然と周りに必要にされていくと思う。
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「どまつり」をこんなにも大きな祭りにした今の気持ちは?
正直怖い(笑)祭りがこんなに大きくなるとは想像もしていなかったし、予想以上に多くの人を巻き込んでいる。祭り当日の動きに至っては、舞台が何会場にもわかれているからすべてを把握することはできないし、関わる人が増えるほど対立する意見も多くなる。大きくなるほど、目が行き届かないことが増えていく。そういう状況になって初めて僕らは、自分たちが目指す祭りのカタチというものを明文化する必要性を感じ、「50年構想」として打ち出した。世間に対して「どまつりの方向性」を公にしたんだよ。公言したからこそ、それまで曖昧だった「どまつり」には明確な指針が生まれた。だから、その指針に沿わないような意見に対しては「違う」と言う必要も出てきた。人の意見に面と向かって「違う」と否定を入れることは、すごくきついことだし疲れる。でもそれを怠ると祭りは方向を見失い迷走してしまうから、これは絶対に必要なことなんだ。最近は、多くの人を巻き込み始めた祭りに対しての使命感も芽生えてきた。最初はただ自分達がやりたくて始めた祭りだったけど、気づけば参加者から「ありがとう」と言われるようになり、責任や使命感を覚えるようになったんだ。使命…というとちょっと重たい響きだけど。「どまつり」はもう、学校や社会、マスコミ、地域コミュニティを巻き込んだ根の張りつつある祭りなんだなって実感してる。
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僕たち中高生に何かメッセージをお願いします。
いろんな物事に対して積極的に行動を起こしていってほしい。活躍する場は、探せば与えられると思うから。当初は大学生が実行委員だった「どまつり」だって、今では新しい仲間に高校生も加わっている。高校生が企画し、運営しているんだ。もちろん祭りの打ち上げでも彼らはノンアルコール(笑)僕からしたら、アルコールもなしによく盛り上がれるなって思うけど、そういう世界もまたいいなって思う。今もし、僕が高校生だったらそういう経験したかったな。いろんな人に出会って、いろんなことを経験する。チャンスの多くは10代にあると僕は思うから。だからこそ、行動的になれば多くの機会が与えられる。みんなには、いろんな物事に対して積極的に動いていってほしい。活動の場がないのであれば、「どまつり」の実行委員の仲間に加わってみるのもひとつの手、行動することが大切なんだ。今の僕だって、きっかけは19歳の時に北海道で出会ったYOSAKOIだった。そこから多くの人と出会って、多くのことを経験して現在に至ってる。今の僕は10代でしてきた経験の続きを体感しているだけなんだよ。
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「にっぽんど真ん中祭り組織委員会」専務理事
水野孝一さん
1976年、静岡県生まれ。大学1年の時、北海道の“YOSAKOIソーラン祭り”に出会い、翌年には踊り手として参加。祭り独特の雰囲気に魅了され「こんな祭りを作りたい!」という思いから、大学4年の時に、「にっぽんど真ん中祭り」実行委員会を結成。現在は実行委員長を現役大学生に引き継ぎ、自身は専務理事として多忙な毎日を送っている。
▼0歳
静岡県で生まれ、愛知県で育つ
▼17歳
商業高校に通う。会計の成績が良かったため、税理士を目指す
▼19歳
名古屋の大学生60名でチーム「鯱」を結成
▼20歳
YOSAKOIソーラン祭りに参加
▼21歳
名古屋学生チーム「鯱」の代表に立候補、「祭りを作る!」と公言する
▼22歳
にっぽんど真ん中祭り実行委員会を結成
▼25歳
にっぽんど真ん中祭り普及振興会を設立。事務局長として就任。生まれて初めての就職となる
▼現在
にっぽんど真ん中祭り組織委員会へ改組し、専務理事へ就任
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