■事業の概要
◆NPO法人「福祉サポートセンターさわやか愛知」
1994年6月に原型となる「地域たすけあい」活動を開始。1999年7月にNPO法人としての認証を受ける。市民参加による相互サポートシステムにより、買い物などの小さな手伝いから、高齢者や障害者の時間預託まで幅広い活動を行う。24時間・365日の活動体制、支援内容を決めずに利用者がメニューを決定できるなど、柔軟なシステムが魅力的。


10代の頃はどんな子だったのですか?

7人兄弟の下から2番目で、年も離れた子だったから特に父に可愛がられていましたね。いつもいろんなところに連れて行ってもらって、可愛がられて…だから、他の兄弟よりも得してるんですよ(笑)。小さい頃はお稽古ごとばかり習っていましたね。琴や三味線、踊りなど華やかでキレイな世界と接していました。夢は宝塚へ入団すること。幼少の頃は歌舞伎役者にもなりたかったかな。両親はもちろん、周りも優しくていい人ばかり。恵まれていたんですね。当時は福祉なんて考えてすらいなかったし、そんな大変そうなことできるわけがないと思っていた。だけどね、実際に自分と夫の両親、4人の面倒をみると自然とできるようになるんです。愛されて育ったから、そのお礼といっては変かも知れないけれど、両親の介護は自分の手でするのが当然だと思っていたんです。

川上さんがはじめて福祉に接したのはいつだったのですか?

私は51歳まで大学や教育センターなどで栄養学の先生をしていたんですよ。けれどね、両親が入退院をくり返していてどうしても看病する人が必要になった。そこで、仕事を辞めて両親の面倒をみることにしたんです。同時に、自分が看病する側にたったことで、初めて介護に必要なサポートを知ることができました。例えば、派遣のホームヘルパーがいたらいいのにな、とか。お手伝いさんがほしいな、とか。家政婦さんだと長時間のお仕事をお願いしなければいけないけれど、私が頼みたかったのは洗濯物を取り込むとか、お布団を干すといった1〜2時間のお仕事だったんですよ。だから家政婦さんを雇うまででもないし、だからと言って、看病と両立してそれを自分でこなすのは大変だったんですね。当時の福祉には、そういうたった少しのことをするために、朝昼晩の面倒を見てくれる人がいなかったんですよ。看病を通して自分がその現状を知ったことが、今の活動をするきっかけになりました。

行政や企業でそのような看病をする方に対する
1〜2時間のサポートを行っているところはなかったのですか?

ありませんでしたよ。私も看病しているときに色々探してみましたが、企業は基本的に社員の生活がかかっているのでお金を儲ける必要がある。だから、そんなお金にならないような商売はしない。行政だって何かサービスを行うには国民の税金を使わなければならないから、税金を払っている国民の生活をよりよくするためのサービスが最優先。となると、そのような短時間のサポートをしているところなんてなかったんですよね。だからといって、行政や企業が悪いわけではないんです。双方には正当な理由があるんですから。そう考えたときに、じゃあ市民はどうなんだろう?とふと思ったんですね。「こんなサービスがほしい!」「こういうサポートが必要だ!」と、自分たちで何かをするのではなく、行政や企業に対しておねだりをしているだけなのではないか、と。自分が困ったと思うことは、きっと人も困っているのだから、それを助け合うシステムが必要なのではないかと思ったんです。そこで私は、市民が自分の自由な時間に互いに助け合える登録型の福祉サービスを始めたんです。決まったように8時間労働!というわけではなく、24時間のうちで空いている時間に無理なく手伝うことができるシステム。相互扶助のカタチを取っているので、その人にできる仕事をその人に任せるんです。手伝う人はやりたいだけやればいいという、自主性を大切にしようとしたんです。だけど報酬は必要。だから、能力給云々ではなく、お礼の気持ちをカタチにしようということで、手伝ってくれた人には謝礼金や時間預託(自分が手伝った時間分だけ困っているときに手伝ってもらえる時間の預金システム)というカタチで報酬を支払うことにしたんですよ。

自宅開放というめずらしいカタチで活動されているのはなぜですか?

私自身が鍵をかけないような家で育ってきたから、自宅を開放するということに特に抵抗も覚えなかったんですよ。むしろ、当たり前だと思っていました。だから我が家には、ただで働くボランティアの方もいれば、有償で働くボランティアも、それぞれが自分のしたいことを持って集まっているんです。例えば、大学生は夜に車で高齢者の方を助けに行くこともできるし、主婦の方はいつもより多めの食事を作って高齢者の方や障害者の方に振る舞うことができる。会社員の方だって、普段は仕事をしているけれど休日だけお手伝いをしてくれる方もいる。互いが互いのできることを認め合いながら、その価値をわずかだけど謝礼金に換えていく。そうして互いに助け合える地域を作っていくことができる。まずはこの家からそれを始めてみたんです。当初は大変でしたよ。夜中に電話はかかってくるし、人手は足りなくなっちゃうし。私は今64歳ですが、そういう時期を乗り越えて今までの11年間ずっとこの活動をして来れたのはやっぱり家族の協力があったからこそだと思います。それについてはすごく家族に感謝していますよ。

僕たち学生へメッセージをお願いします。

高齢者や身体障害者をもっと身近に感じてほしい。でないと、いざというときにさっと手を差しのべることができないんですよ。だけどそんなものは慣れだから、一緒に住んでいたり、もっと接していたりすればすぐに手を出すことができる。今はそういう機会があまりないのよね。だから私はもっとみんながそういう方達と接する経験の場所を増やしていきたいんです。そういえば私ね、昔よく父に「人は何もなくても7つのことができるんだよ」と教えられたんです。「温かく人を見守れる目がある。優しい言葉をかけられる。ゆっくり聞いてあげられることができる。顔全体で笑顔ができる。そっと手を差しのべられる。人を受け止めてあげられる心がある。そして、最後は実行だよ。心を持っていても、最後は実行しなければ何にもならないよ」と。その言葉が今でも残っています。だから学生のみなさんも、もっと生活の中で高齢者や身体障害者の方とふれあって、いざという時に気持ちを行動に変えられるように経験を積んでいってくださいね。



■プロフィール

NPO法人「福祉サポートセンターさわやか愛知」理事長
川上里美さん

1941年岐阜県生まれ。7人兄弟の6番目に生まれながら、年が離れていたため両親の愛情を一心に受けて育つ。2人の子育てをしながら栄養学の教師をし、両親の介護も経験。完ぺきなサポートだけではなく、介護者に対する短時間サポートの必要性を感じ、「地域たすけあい」の活動を開始。市民参加による相互扶助のシステムを生みだす。活動を始めて11年目、周囲を巻き込み、互いに助け合える地域仲間の形成に努める。

▼0歳
岐阜県生まれ
▼10歳
琴や三味線、日本舞踊など多くのお稽古ごとを習う
▼15歳
夢は宝塚に入団し、華やかな舞台で踊ること。この頃、介護に関してはまったくの興味も抱いていなかった
▼17歳
高校生の頃は軟式テニス、コーラス部に所属。お稽古ではピアノ、コントラバス、日本舞踊を習っていた。とにかくお稽古ごとが大好きで、色々なものに手を出したものの、すべて完成されないまま終わっていった
▼22歳
専門学校(現在・短大)卒業後、母校の教師となる
▼27歳
第一子を出産。これを機に退職。他大学の講師を務め、育児と仕事を両立する
▼53歳
「地域たすけあい」活動を開始
▼現在
NPO法人「福祉サポートセンターさわやか愛知」理事

■インタビューの感想

福嶋将人さん
刈谷北高校2年

今回僕が見学を通して特に感じたことはその行動力。自宅を事務所として開放して家に人を集めるなんて僕では想像できない。家族の協力無しではできないことだと思った。また、当時はまだ十分でなかった介護サービスを自分の手で作り出そうと考えたこと。他の家庭の介護をすることが、最初は地域の人から理解されなかったが、徐々に得ることができたという話はすごいとおもった。思い切った考えと思ったことを具体化できるように行動することでさわやか愛知が生まれたのだと僕は思った。

このページのトップへ

HOME / 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12

中高生のための「社会起業家ナビ」は、2005年度「JT青少年育成に関するNPO助成事業」の支援を受け、NPO法人アスクネットが制作しました。