■事業の概要
◆NPO法人「レスキューストックヤード」
2002年3月、NPO法人「レスキューストックヤード」設立。1995年の阪神大震災をきっかけに活動を開始し、その後から現在に至るまで自然災害時の被災者支援活動などを行っている。また、災害時の被害を最小限に抑えられるよう、小学生と一緒に「防災マップ(災害時に危険または役立つと思える場所を事前に地図に記しておく)」など防災活動にも力を入れ、減災(災害に伴う二次災害の減少)に務めている。


栗田さんはどのような学生時代を過ごしたのですか?

特に不自由なことがあったわけじゃないから、何も考えていなかったなぁ。高校は進学校へ通っていたよ。家から学校まで通学するのに1時間以上もかかったから必然的に帰宅部だったけれど、基本的に目立ちたがり屋だから(笑)生徒会長をしたこともあった。将来のことについては、ただ漠然と父親も母親も大変だなぁと思ってたくらいかなぁ。家の親父はね、兼業坊主だったんですよ。月曜から土曜は銀行に勤めて、日曜は法事やら何やらと坊さん仕事。平日も日曜も、お盆休みも真面目に働いている親父の後ろ姿を見て、感謝の気持ちを覚えると同時に、自分も同じようになるのかな、と。こうやって思い出してみると、高校時代は社会的な課題にはふれずに、自分の周囲にある小さな問題にしか目を向けていなかったなぁ。でもね、20年以上たった今でも高校時代の友達と付き合いがある。時には相談することもあるし、互いの人生を認め合いながら、いい関係が築けてる。学生時代に出会った友達は当時の僕にとっても、今の僕にとっても大切な存在なんだよ。

栗田さんが災害ボランティアと出会う
きっかけとなった出来事は何だったのですか?

きっかけは1995年の阪神大震災。僕は大学を卒業して、大学の事務職員の仕事をしていたんです。ちょうどその時期に阪神大震災が起きた。6433人の方が犠牲となった大震災。地震が起きたのは明け方で、ここら辺でも大きな揺れを感じたくらいだった。地震があったその日以来、学生が事務の窓口に押しかけ「被災地で暮らす人のために、何か手伝いたい!何かしたい!」と言ってきたんだよ。テレビに映し出されている崩れ落ちた高速道路や燃えている家々を見て、いてもたってもいられなかったんだろうね。僕はそんな学生たちの気持ちを大切にしたかったから、彼らの思いを叶えようと働きだしたんだよ。まず、単にボランティアといっても活動拠点がいる。僕のいた大学はたまたま仏教系の大学だったから、その繋がりで活動拠点を探していたら、あるお寺が協力してくれると言ってくれた。食堂もお風呂もあるし、そこでは60人くらいが寝泊まりできる。活動拠点の準備が整ったところで僕は、学生ボランティアの引率者として被災地へ向かったんだよ。

実際に被災地に行かれてどのようなことを感じましたか?

現場はテレビ報道以上の凄まじさだった。辺りはがれきの山だし、がれき以外のものは真っ黒焦げ。そこにあったのは、焼けこげた街。思わず絶句したよ。言葉を失う風景がそこにはあったんだ。まるで「よそ者はここへ入ったらだめだ」と語りかけてくるような風景。興味本位で歩けるような場所ではなかった。僕らはその中を通って避難所へ行ったんだけど、そこにいた人々の反応は予想外のものばかりだった。「お願いすることはありません」と言われたり「ボランティア、ボランティアって、うっとうしいんだ!」と胸ぐらを捕まれたり…。交通手段もなく何十キロも歩いて苦労してその被災地まで行ったのに、そんなことを言われたんだ。学生が何か言い返してケンカしてしまうのではないかという僕の心配をよそに、学生は「どうもすみませんでした」と引き下がった。来たときと同じように焼けこげた街の中を引き返しながら、学生たちと一緒になぜそんな風に言われたのかを一生懸命考えた。そういった阪神大震災での経験から僕はボランティアの基礎を学んだんだよ。ボランティアだって人間関係、つまり信頼関係ありきなんだ。突然の天災に動転し、やり場のない怒りや悲しさを抱え込んでいる人に、そこでの暮らしを全く知らない人がいきなりやってきて、何ができるのかも分からないのに「何でもやります!」だなんて言われても困る。まずは、薪割りとか掃除とか、できることから少しずつやっていく。そうして信頼関係を結んでいくんだ。もっとも大切な被災地での被災者達との関わり方を、僕は学生から学んだんだ。

災害の被害を縮小するために、もっとも大切なのはどんなことですか?

常日頃から防災を心がけることが大切。阪神大震災でも、東海豪雨でも、災害直後はみんなが防災への関心を高める。けれど結局、一時をすぎると防災なんて忘れ去られてしまうんだ。災害なんてものはいつ来るか分からないんだし、一時だけ備えるのではなく常に意識しておくことが大切なのにね。だからもっと他の地域であったことから僕たちは災害について学んで、「防災」にしてその経験を活かしていく必要があると思う。被災地で活動しているとね、被災者が必ず言う言葉があるんだ。「まさかこの地域で起こるなんて…」「もうちょっと災害に備えておけばよかった」。僕は今までの経験を活かして、これからは「減災」について、周囲の意識をもっと高めていきたい。災害が起きたとしても、備えをきちんとしていれば、減災はできるんだってことを。つまり、被害を最小限に留められるんだとね。自分の地域は大丈夫だろう…なんて根拠のない安心感を持つのではなくて、もっと日頃から減災を意識する。そのための活動を僕はこれからしていきたい。

中学生、高校生へメッセージをお願いします。

僕は学生のとき、そんなに勉強していた方じゃなかったから「もうちょっと勉強しておけば良かった」「物事に真剣に取り組んでおけば良かった…」とか社会に出てから思ったことがあった。司法試験の次に難しいと言われている社会福祉士の資格を取ろうと通信大学にも通って頑張ったけど落ちちゃったこともあったし。だけど僕は今、この仕事をしながら大学院生でもあるんだよ。二年生で、修論を書き上げたら修了。本当に人生は山あり谷ありだと思う。だけど、自分が何かにチャレンジし続けたいと思った時には、必ずその思いに賛同してくれる人や応援してくれる人がいるんだ。僕がしているNPOだって、「人」「物」「金」なくしては継続できないのが事実。だけど、その思いに共感して支援してくれる人たちがいるから僕は今の活動を続けられている。もちろん、NPOといっても会社を興すことと同じ経営感覚が必要だから、たまに活動の継続を難しく感じるときもある。だけど、その度に周囲の人たちが応援してくれるんだよ。そうやってレスキューストックヤードはここまでやってきた。だから、みんなも自分のやりたいことが見つけたら、信念を持ってそれに向かって全力で頑張ってみてほしい。



■プロフィール

NPO法人「レスキューストックヤード」代表理事
栗田暢之さん

1964年岐阜県生まれ。お寺の長男として生まれ、大学卒業後は、平日は大学事務職員、仏事の際には僧侶として二足のわらじを履く。1995年1月の阪神大震災で、約1400人の大学生を引率し、被災者支援活動を行ったことがきっかけで災害ボランティア活動に取り組み始める。現在、活動を始めて10年目。同時に、名古屋大学大学院2年生。

▼0歳
岐阜県生まれ
▼16歳
進学校へ入学するも勉強はあまりしなかった。ただ目立つことが好きだったので生徒会長などはしていた。部活は帰宅部。ただ漠然と「休む間もなく働く忙しい父親を見て、寺と仕事の両立は大変だなぁ」と思っていた高校生だった
▼22歳
大学を卒業し、大学の事務職員として就職
▼31歳
阪神大震災の被災地へ約1400人の大学生を引率。災害ボランティアを経験する
▼38歳
NPO法人「レスキューストックヤード」を設立
▼現在
同法人・代表理事を務めながら、名古屋大学大学院2年生でもある

■インタビューの感想

大角清隆くん
東海高校1年

仕事の内容はもともと大変だとは思うけど、有名になったほうが経営は大変だというのには驚きました。採算が取れなくなっても別のやり方で続けるか、周りが援助してこれからも続ける必要がある仕事だと思います。自分が食っていけるか、やりたいことをやるかのどちらかを選択する時にやりたいことをやれたのは、すごいなぁと思います。

酒井貴士くん
東山工業高校1年

各種災害が起こったときの体験談、災害ボランティア活動を行うに従っての考え方。取材を通してさまざまな事が学べ、また災害の現状など本当に多くのことを教えていただきました。普段は全くといっていいほど関係のない災害ボランティアのお話は興味深かったです。もし愛知県で地震が起こったら。そうなったらどう動けばいいのか。自治体はどのような対策をしているのか。話しを聞きながら、改めて現在の防災対策について考え直しました。

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中高生のための「社会起業家ナビ」は、2005年度「JT青少年育成に関するNPO助成事業」の支援を受け、NPO法人アスクネットが制作しました。