山田洋次監督講演:「映画"学校"シリーズと私」
Yamada Youji Pict1 7月18日(日) 13:00〜15:00
東邦学園短期大学 第10講義室にて
  1. 内容要旨
  2. 質疑応答
  3. 受講者の感想

1.内容要旨
 「暑い中をご苦労様です。ようやく夢の学校に参加できました。おおぜいの皆さんに立って聞いていただいていて恐縮です。私も立ちましょう。」
「学校」という映画を3作作り終えての感想
 荒川区の夜間中学を見て、10数年温めてきた。「学校」というタイトルは、初めは反対された。タイトルは興行成績におおきな影響をあたえるもの。しかし、「学校」にこだわった。夜間中学に来る人は年齢も様々。しかし、一生懸命勉強していて、学校に来るのが楽しい。先生も教えるのが楽しい。これが授業であり、学校である。これを出したいと思った。
 大阪にオモニの学級といわれるところがある。8割が朝鮮の女性たちで、せめて日本の文字を習いたいと通っている。その中の一人、末山さんが先生の手本をなぞるように練習して書いた習字から、「学校」の字を選び、映画のタイトルに使わせてもらった。
 タイトルも中味も地味な映画にしてはすぐれた興行成績を得ることができた。学校や教育が日本人の関心を呼び覚ます時期であったから、観客にインパクトを与えた。教育と老後が今の日本人のおおきな関心になっている。学校U、学校Vとシリーズになったが、当初は続くとは思わなかった。「寅さん」も初めは反対された。ヒットして連作となった。
 「学校T」は夜間中学、「学校U」は養護学校、「学校V」は中高年者用職業訓練校と、それぞれ舞台は違うが、共通しているのは、どれも競争がない学校であること。「T」は一人一人の学力に合わせて授業がある。皆が助け合ってそれぞれの到達を喜び合う。「U」は知的障害者の学校。一人一人が違う障害をもっており、各自が専門家である。教師はまずそれを学び、そこから教育が始まる。これ(教師が一人一人を知ることから教育が始まる)は本来、普通の学校でも言えることだが。「V」は中高年の人たちが再就職のためにビル管理の仕事の資格をとる。点が取れれば皆が合格。励ましあう生徒たち。先生の情愛も見えてくる。普通の学校では「良い学校に入れればよい」という単純な価値観で、競争させている。
少年時代のこと
 自分の少年時代は50年以上も前のことだが、いい成績をとりたい子どもだった。自分でも競争に対する疑問はもっていたが。走るのが苦手で、いつも負けていた。悔しかった。
 渥美(清)さんは勉強に興味のない子どもだった。あのおおきな四角い顔で皆を笑わせ、和ませる役割だった。渥美さんに「山田さんは勉強ができたんでしょう」「子どものころからチーズを食べてたんでしょう(子どもの頃父の仕事の関係で満州にいて、大陸の生活を経験していたため)。」と、まるでつまらない人間だという言い方でよくからかわれた。不良少年にいじめられるようだった。
 父の転勤により、長野県に暮らしたことがある。そこで綴り方教育の指導者佐藤先生の教育を受けた。綴り方運動は戦争中に弾圧された。佐藤先生は「自分の言葉で語らなければだめだ」と言われた。農家の子どもで、いつも鼻水を2本垂らしている小柄な野口君という子がいた。彼が書いた、霜がきらきら光っている様子を歌った詩を先生はとても誉めた。自分は要領の良さはあるが、自分の書くものは借り物の言葉と思う。個性がないと思った。自分が本を出版したとき、そのあとがきに佐藤先生のことを書いた。佐藤先生に本を贈ったところ、先生は「君に苦痛を与えていたことを申し訳なく思う。しかし、それをバネとして寅さんを作った。それは君の言葉だ。自分は一人一人に合う服を作ろうと思ったが、それは思い上がりだった。」と手紙を下さった。先生に育ててもらったという思いを持っている。
リストラ・日本の社会
 「学校V」を作るために職業訓練校の卒業生にインタビューをした。中年男性の苦しみが深い。日本は自殺大国であり、ここ3年、50代の自殺が増えている。これは世界でも例を見ない。リストラは欧米から学んだように言われているが、日本流のリストラは給与の高い中年の首切りを真っ先にしている。欧米では「ラストイン・ファーストアウト」のルールで若い人から辞めさせている。家族を持つ中年者の首を切ることは人道的に許されない。しかし、日本ではこれがまかり通っている。これが日本人全体の問題にならないのは何故か。30年前(ちょうど「寅さん」が始まったころ)なら国民全体で考えたはず。それが今は国民の統一した関心にならないで通り過ぎていく。60年安保以後、国民が細分化されていく。国民が小金持ちになっていくことで、他者への関心が薄くなってきた。家族もバラバラになっている。これを解決するには、きょうのこのような集まりの中から回復するしかない。20年、30年かけて粘り強い闘いが必要。
不登校の少年のこと
 取手の母親大会で話をしたとき、16歳の少年が質問した。「なんで勉強しなければいけないのか。学校へ行かなければならないのか。ぼくは小5から学校へは行っていない。」と言った。それに対して苦しかったが、「学校は君のためにあるはず」と答えた。その少年は父親が転勤族でいろいろな学校を転校したが、ある学校で教師の教え方を批判したところ、教師に嫌われた。そういう学校に不信感をもつようになって、学校へ行かなくなった。
 別の少年の話もある。彼には広末涼子のようなガールフレンドがいて、彼女からボランティアに誘われた。そこは重度心身障害者の施設で、初めは怖かったが、手伝った。ユウコさんという人を抱き上げたとき、体がカチカチなので驚いた。彼が抱き上げたとき、ユウコさんがふっと微笑んだ。みんなが「ユウコさんは鉄平君(少年の名前)を気に入った」と言った。その日以来、彼は毎土曜日にボランティアをした。そして将来は施設で働きたいと思うようになった。卒業式の日、前日ガールフレンドに振られ、一晩泣き明かして登校した。施設の人たちがユウコさんを連れ、お祝いにきてくれていた。彼はユウコさんに駆け寄り、オイオイ泣いた。彼はこの日を一生忘れないと言う。彼を回復させたのはユウコさんである。こんな少年を主人公にして映画「学校W」ができるかなと思う。
アメリカと日本
 まもなく原爆の日。しかし「ノーモアヒロシマ」が風化している。現実は地球を20回焼き尽くすことができるほど多くの核が保有されている。日本政府はインドの核実験に反対するが、日本はアメリカの核の傘の下に守られているから反対する資格はないとインドは批判している。世界最大の核保有国であるアメリカの核実験こそ、日本は反対するべきではないか。 ハリウッド映画で日本で成功するのは、敵と戦う映画。ブルース・ウィルスやシュワルツネッガーらが演じる肉体・頭脳・決断力にすぐれた主人公がいろいろな敵と戦う。「アルマゲドン」「インディペンデンスデイ」では宇宙の敵を討つために核兵器を使った。これらの映画が日本で成功するとは、原爆の犠牲になった人々はどう思うだろうか。日本は抗議するべきではないか。
 世界の映画の8割をアメリカ映画が占めている。これは異常である。日本ではかつては日本映画とアメリカ映画の割合は5:5だった。今から10数年前に4:6になり、最近は3:7になっている。それでもまだましである。自国の映画を守っているのが、中国と韓国である。韓国では「4割が自国映画」のルールをもっている。アメリカはこれを変えようと、映画連盟会長が韓国へ乗り込んだ。ルールを変えれば500億を映画産業に投資すると迫ったが、韓国は突っぱねた。韓国映画人はデモを繰り返した。俳優たちは自分の写真に黒枠をつけ(葬式を模して)、抗議の意を表した。「8月のクリスマス」というすぐれた映画に主演している、韓国の高倉健ともいうべきスターも先頭に立っていた。
 フランス映画は政府によって保護されており、アメリカ映画は6割に止まっている。日本では敗戦の時からアメリカは日本に対する文化政策を持っており、無条件でアメリカ映画がはいってきているが、日本映画はがんばってきた。しかし、今は苦しい。「スターウォーズ」がアメリカと同じように流行っている。アメリカ文化の傘の下に入るのでなく、日本人の文化を育み、アイデンティティーをもつ必要があるのではないか。
Yamada Youji Pict2 ▲このページの最初に戻る
 
2.質疑応答
「寅さん」シリーズが終わってしまって残念。「虹をつかむ男」シリーズをもっと続けてほしいが、どうなるか?
映写技師を主人公にした映画をシリーズにするのは難しい。「学校」も私らしい作品である。
脇役のキャスティングがすばらしい。ストーリーを作るときに頭にあるのか?
「寅さん」でいうと先に渥美清がいて、彼を生かす映画を作った。彼のキャラクターから生まれた映画。妹はマドンナのような人というイメージでキャスティングしたのが倍賞千恵子。材料があって料理をする場合と、料理があって材料を考える場合がある。「幸せの黄色いハンカチ」はストーリーが先にあった。刑務所から出てくる男の役に、やくざ映画に出ていた高倉健を選んだ。彼はその頃やくざ映画が終わり、俳優を続けるかどうか迷っていた時期だった。武田鉄也も顔が大きく足が短く、地方の文化を感じさせるものをもっており、ぴったりのキャスティングだった。彼も当時売れなくなって故郷に帰ろうかと迷っていた。俳優は自分を見つめ直そうとしている時期が使い時。
北海道教育大の学生。仲間と一緒にサマーセミナーの小規模なものをやっている。山田監督に会いたくて最終便で名古屋にきた。「子どもは一人一人が専門家」「教師は一人一人から学ばなければならない」との言葉に感銘を受けた。これからの教育に希望があるか。
君のような青年がいることが希望。シナリオ教室の講師をしたことがある。生徒一人一人がちがう。理解し、サジェッションしたいが、時間がない。5人ならまだしも、20人以上なら無理。先生の仕事は大変だと思った。映画の世界では、まず師匠につき、学んでから映画を作る。教師はいきなり担任をやり、誰からも指導を受けない。これはたいへん。教師も見習から始めるといい。師匠が時々見に来る関係はとてもよい。教師一人一人がバラバラのようにみえる。
演劇にはない映画の魅力は何か。
演劇は直接的、映画は間接的であり、それぞれちがう。演劇をやっているならそれを続けると良い。
鉄平君のことを映画にしてほしい。
あの施設は横浜の新興住宅地にあり、初めは施設建設に反対された。しかし、地域の人たちに行事の会場として施設を開放することなどを通じて、今ではすっかり地域に溶け込んでいる。
2人の子どもが「学校ぎらい」。学校へ行かなければいけないのか?
高校から大学の勉強は役には立たないという。しかし、勉強したことは物事を順序立てて考える力になっている。物事を考える土台(基礎)になっているのではないか。
以下 省略
▲このページの最初に戻る
 
3.受講者の感想
  • 監督には本当に深い想い(思想)があって突き動かされるように映画を撮られているのがよく伝わって着ました。特に質問が続々と出るし、それがまた暖かく、重い内容で、これに対して実にやさしく応じてみえた姿が素晴らしかった。監督の映画は人間映画だが、アイディア・シナリオの上に、それをすべての人々に伝えきる技術があり、それを実現する山田組というスタッフがあって成立することだ。高羽さんのカメラワークは本当に山田映画の大切な要素だったと思う。そうした集団芸術を極めた監督の一語一語はずしりと重い。どんな人も無駄ではなく居場所がある。……リストラのように切るのではなく、生かすことがこの不況厳しい中でどれだけできるだろうか。学校は無縁でないどころか、学校こそは競争主義のるつぼではないか。これからも私たちを映画によって触発しつづけてほしい。もし、題材に詰まったら、特定の学校の枠をはずし「街が学校になる」この愛知の姿をシリーズに加えられてはどうか?(教員)

  • まるで母の子守唄のように、山田洋次監督のお言葉の一つ一つが優しく心に響き渡りました。映画「学校」が製作されるまでの背景や、ご自身の幼少時代、訪問した養護学校や夜間中学で出会った教師や生徒たちとの出逢い…不登校児や人情あふれる校長先生など、感動を与えてくれた様々な人々との出逢いについてお話してくださいました。これらの素晴らしい映画を支えてくれている、影の主人公ですね。この大地に生まれてくる一つ一つの命に、国や環境を選ぶことはできません。誰もがそれぞれの歴史や環境を持ちつつも、一生懸命生きているはずです。国境や年齢の壁を越えて、どんな小さなことでも、喜びも悲しみも、心を開いて分かち合えたなら…そう願ってやみません。講演終了後、多くの人であふれた講堂に、「人間は一人ではないんだ。皆一緒に生きていこう。」という力がみなぎっていたのを体感しました。山田監督と、そして、このような素晴らしいイベントを支えてくださっているすべての皆さんに、心から「ありがとう」を申し上げたかったです。(東京都世田谷区 女性 : インターネットにより投稿)
▲このページの最初に戻る

Go Backまとめのページに戻る
Go Homeホームページに戻る