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西尾市在住。23歳。名古屋外国語大学大学院英語科専攻。4歳の時に交通事故で、両腕をなくす。以後、足を手のように自在に操ることで日常生活を送ってきた。現在、小中高校・大学・専門学校などの講演・講座依頼を受けては自分の経験や思いなどを語っている。ホノルルマラソン完走、短期留学経験なども持つ行動派。

手がないという能力をつかって、
僕は自由に生きていく。

「みなさん、立ち上がって両手を後ろに回してください。さて、この格好で背中がかゆい場合、どうやってかきますか?」

彼の授業はこうして始まる。正解は、柱の角に背中をこすりつけること。

しばらくすると、教卓の上にドカリと座り、足で箸を操って器用に豆を食べてはじめた。足の指で携帯電話をかける、メールを打つ。ペンを持って黒板に文字を書く。はさみで切り絵をつくる…。

そう、教壇にたっている青年、小島裕治さんには両手がない。かろうじて左腕の付け根を使って傘や荷物をワキにはさんだりすることはできるが、それ以上の機能を持つ腕はない。

4歳のあの暑い日のことを、彼は今もよく覚えているという。友人と一緒に、近くの家に子犬を見に行こうとしていた彼は、横断歩道の上でトラックに跳ねとばされた。何週間も意識が戻らない状態から生還し、おそるおそる自分のカラダを見てみると、あるはずの場所に両腕がなかった。4歳の子どもにその意味がすぐにわかるはずもない。

「ボクの手をどこに隠したの?返してよ。ねぇ、お母さん返してよ」
駄々をこねる小さな息子に母は告げた。
「ゆうちゃんの手はね、ゆうちゃんの代わりに天国に行ったんだよ」

この日から彼の『手のない人生』が始まった。そして大学院生となった今、小中高校・専門学校などからの依頼を受けて『手がないという能力』という講座を行っている。

チャレンジしてやり遂げて、
自信をつけていく。

「小学校の頃は、なにかできなくても『なにくそ!』って気持ちで頑張れることが多かったんです。でも、中学や高校の頃は、やっぱり思春期だし。何でオレだけ手がないんだ、コレができないんだ、って正直なところ何度も死にたいと思った。おまけに高校は絶対大丈夫と言われていた第一志望の学校に落っこちて、遠くの学校まで通うことになって。結局3年間親友もできず、学校になじめないままでしたね」
大学に入る以前の自分を、彼はそんな風に語る。

しかし大学に入って彼は自分を変えようとした。かばんから財布が出せないという理由で、ひとりで行けなかった買い物にも出かけるようになる。「このポケットから財布出してくれますか?」
そんな風に店員さんに声をかける。旅行にもひとりで行った。3年前には、ホノルルマラソンにも出場し、見事完走。走るのは嫌いだったが、チャレンジすることで自分がもっと変われる気がした。2年前にはニュージーランドの海外研修にも参加。行動範囲が大きくなるたび、できることが増えるたびに、自分に自信がついていくことがうれしかった。

「人前で話すのも、ひとつのチャレンジみたいなもんなんです。ずっと手が欲しいと思ってきたけれど、やっぱり手ははえてこなかった。だったら、手がないことを使って何かできないかって考えはじめていた頃に講演を依頼されて。実は、最初の頃は人前で自分のことを話すのも結構つらかったんです。でも、自分をさらけ出して、自分の暗い過去を話すことで、その時のことが客観的に見えてくる。人に話すことで少しずつ自分自身の思いが整理できるようになってきたんです。おまけに『感動しました』なんて感想までもらえると。人前で自分を語ることは、ある意味ボクにとっての心のリハビリにもなっているのかもしれません」

とはいえ、まだ23歳の若者である。自分がやっていることは正しいのか?と迷うこともある。足で箸をもったり、ペンを使ったりするのは彼にとっては日常の生活であり、芸ではない。それを人前で見せることに何度か抵抗は感じてきたし、そのたび拍手をもらうことに違和感を感じる日もある。『足を使うのが日常ならば、それを見せるだけで講座にするなんて、ズルいじゃないか』と感想を書かれたこともある。

手がないからこそできること。
自分の個性を最大限に生かす人生。

「僕はいまも、初対面の人には驚かれるし、気を遣われる。それは障害がある人が身近にいないから。僕らも普通の人間だし、さほど不自由なく普通の生活ができるんだということをわかってほしい。そのためには、きれいごとを語るよりも、目の前で見せた方が訴えかけられるものが大きいと思うんです。僕が何かを話すより、19年間苦労して勝ち得た能力を見せる方が、いろいろなことを感じてもらえる。今はそう信じているから、僕は教壇の上で足を使い続けるんです」

将来の夢は教師になること。足で字を書くことだけでも、子どもたちは素直な驚きと感動を持ってくれる。この姿で教える立場に立ったら、様々な気づきを与えてあげられるんじゃないかと思っている。そのため今秋には高校で教育実習を行う。黒板を自由に使えないからこそ、自分なりの授業スタイルを創りあげていかなければならない。しかしだからこそ、彼にしかできない授業を作ることができるはずだ。

新たなチャレンジに挑もうとする彼に、取材の最後に好きな言葉を聞いてみた。
「Let it be」(なんとかなるさ)

その言葉の裏側には、なんともならない運命を受け入れ、なんとかしてきた自信が見える。だからこそ今は言える。

きっと、なんとかなるさ。

[取材・文 平田 節子]

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