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1952年、トルコ、イスタンブール生まれ。1982年に来日。奥様の経営する喫茶店勤務の後、会社勤務。会社勤めのかたわら各地のイベントでトルコのフォークダンスや楽器演奏、食文化を紹介する。また、依頼に応じ、地元の学校で文化紹介の授業を担当。95年に独立後はトルコ文化の名古屋における情報発信源を目指し、ウルスラル貿易(有)を創業。トルコの食文化、小物の展示即売など、大須にある直営レストラン「メルハバ」はもちろん、全国各地で活躍中。

異文化の交差点 : トルコの文化と私たち日本人

今年で来日23年目を迎えるテメルさんは、これまでもそうしてきたように、これからもトルコのことを多くの子ども達に知ってもらいたいと語る。オスマントルコ帝国に代表される過去のトルコ像のみでなく、現在のトルコ、トルコ人、文化を紹介するために、都合さえ合えば快くトルコ紹介の講座に協力を惜しまない。

「トルコにはトルコ語があることを知ってもらいたい。文字もラテン文字をもとにした、トルコ独自の文字をもっています。トルコ料理は世界3大料理であることも、多くの方は知りませんね。たとえばヨーグルトという言葉、これはトルコ語が語源となっています。あと、トルコと日本には、あまり知られていない接点が数々あります。お互いの国は、シルクロードの両端に位置しています。オスマントルコの使節団は、明治初期に日本を訪れています。残念なことに使節団の乗った艦船は和歌山県沖で難破しますが、地元の方々に助けられ、小さな規模ですが、民間レベルでの交流が歴史の中にはありました。最近ではワールドカップやトルコの「のび〜る」アイスなど、限られた情報しかありませんが、ひとつの国を語ると、様々な文化や思考、側面があることを、私は市民講師として紹介していきたいです。」

外国人として日本で生活することの苦労を乗り越えてきた23年間。一番つらかったことは、白人とみると即、英語で話しかけてくる数多くの反応であったという。「外国人に話しかける礼儀として、相手がすべて英語を話す人間であると考えるのは、大変失礼です。世界には似たような顔つきや容姿の民族はいくらでもあります。でも、多様な文化が存在しています。相手が何人か判らないときは、そこが日本であれば日本語で話しかけるべきです。それが相手に対しての、そして相手が日本人に対しての礼儀だと思います。」

「トルコでは毎朝、生徒達は校門の前に勢ぞろいして "Turkum dogruyum"(私はトルコ人である)で始まる詩を全校生徒が朗読します。内容は「トルコ人の務めとして、弱者を守り、目上を敬い…」というような、民族の誇りと日常生活で守るべき事を詠ったものです。これが終わると生徒たちは一斉に教室に入り、楽しい学校の一日が始まります。そんな習慣があるものだから、イジメなんかあり得ないし、先生は皆、尊敬の念をもって生徒達から支持されています。」

トルコと日本はお国が違うと言ってしまえばそれまでだ。しかし、トルコ人としての誇りを確認し、民族の務めを再確認するこの習慣は、おそらく見ていても美しい風景であろう。そのようにして健全な郷土愛を培い、弱者である旅人を寛容な心で受け入れてきた国、トルコ。ヨーロッパとアジアの交差点に位置し、他民族との幾多の衝突が反省を生み、大文明を興してきた。そのような背景からであろうか、テメルさんからは常に、誇り高きトルコ人の気配を感じる。

民族と文化と歴史の交差点トルコ。その要所であるイスタンブール出身のテメルさんの講義では、単にトルコの文化を学べるだけでなく、民族の誇り、異文化との付き合い方、世界のあるき方など、思いがけぬ側面も得ることができる。

後記:同行の写真作家曰く、「テメルさんは「日本人以上に日本の将来を考えている人。」単に在日外国人ということではなく、日本の市民社会に溶け込んだ、一人の先輩市民として、日本を真剣に見つめている方である。

代表的な講座タイトルと対象年代

「トルコと日本、知られざる関係」
「トルコの子供と、日本の子供」
「海外でのマナー講座」

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